2012年8月23日

ラスパイレス

もう随分昔の事になりますが合併前のK町でこの事件がおきました。忘れていた小さな出来事でしたが、最近の本末転倒の政治を見ていて思い出しました。

ラスパイレスというのは地方公務員の給料を国家公務員の給料に比較して数字で表したものだと解釈しています。ラスパイレス指数といいましてね。
隣村だったK町の町長に多少左系の資産家のボンボンが就任しました。彼は組合対策として昇給を重ねて、職員の給与が国家公務員より高くなってしまいました。独立会計で国から交付税などの支援を受けていなければ問題はなかったのですが、残念ながら地方の一寒村、交付税は主要な財源でした。
国からの支援がなければ財政が維持できない町村が、国より高い給与を支払うとは言語道断と改善を迫まられたのは当然の成り行きだったのです。
確か10パーセント以上高くて1-2パーセントの他町村の中で突出していました。それで標的になって大きな圧力をかけられたのです。

そして選挙、国との関係改善を標榜して当選した町出身の豪腕政治家が指数改善に乗り出しました。給料の引き下げです。当然職員は反対、職員組合と町長との対立、争いになりました。
この問題で町長になったG氏は一歩も引かない。たまりかねた職員組合は、上部機関の自治労に提訴したのです。あたかも全国でこの問題が提起されているとき、格好の事件として最上部の全国自治労が乗り込んできたから大事になりました。

静かだったK町に赤旗がはためき、紅い鉢巻の組合員が「わっしょい、わっしょい」とスクラムを組んで練り歩く。一変した町内に驚いたのは何も知らなかった町民、様子がわかると、そんなことは止めてくれと、親、兄弟、親類が各組合員に大圧力をかけました。もともと固い信念を持たない大多数の組合員氏は町民のブーイングの大合唱に、1人去り、二人去り、最後は幹部だけになった。
その頃です。戸河内町の町会議員で社会党員のS君が、K町職員組合の書記長K君を連れてやってきた。四面楚歌になり始めた彼に声援が欲しかったのでしょうね。

そして「君はK町の運動をどうおもうんや」と聞いてきたのです。私もまだ若かった、思ったことを率直に口にしたから、K君はいっぺんにしゅんとなってしまいました。
「わしゃー間違うておる思うで、自分たちが正しい思うたら、全自労(全国自治労の略)に訴える前に、町民に理解をしてもらう運動をせにゃー、あんたらー誰から給料もろとる思うんならー」、今考えると随分思い切ったことを言ったものです。雰囲気が1遍に冷え切りましてね、睨みつけられました。そして早々に帰って行きました。
S君とはそれからも長い付き合いでしたが、2度とこの話が話題になることはありませんでした。もっと遠回しに言うべきでしたね。

勿論、この戦争はG町長の勝ち、赤旗の話はK町の恥とばかり、以後私の耳には聞こえることはありませんでした。

でも傷つけたであろう私の一言は心にずーっと引っかかっていました、町村合併で元K町の職員さんとも接触する機会が出来ました。ある時、気にかかっていたK君の消息を聞いてみました。彼は最後まで意地を通したといいます。階段下に机を与えられて定年まで勤めたとか。それが正しいか正しくないか、私には判りませんが人生は一度しかない、一度話してみるべきだったかと反省しています。

長い人間の一生、色々なことが起こります。本質を見誤ると一度しかない人生を社会の底辺で悔やみながら過ごすことになるかもしれない、誰にでもその可能性はあるのです。後輩諸君に申し上げる、人生の曲がり角に出会ったら、立ち止まって相手の立場も考えてみよう、それから前進する事にしようと。

今日はふと思い出した昔語りでした。

2012.5.21 見浦 哲弥

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