2010年3月6日

井上さん

昨日、井上さんという人が訪ねてきました。
以前、会社の仕事で小板の別荘作りに来られたとか、私の記憶には残ってはいませんでしたが、お話をお聞きするうちに田舎の人たちの心が荒廃したのは、小板だけではなかったのかと、さびしくなりました。

井上さんはリタイヤ後、旧八幡村に移住したのだそうです。住居の周りの空き地で野菜や花を作ろうとした、ところが埋め立てられた空き地で、どうしてもうまくいかない、そこで見浦牧場を訪ねられた。

お話をお聞きしながら思ったのです。昔なら周りからサイチンヤキ(世話焼き)が登場して、ああでもないこうでもないと世話をやいた。
そのうちにサイチンヤキが複数になって、当人そっちのけで論争が始まる、記憶にあるそんな風景はまだ新鮮なのに、現実には遠い遠い昔になってしまった。

私たちが余った堆肥の無料提供を始めたのは、もう10年あまりも前になりますか。
無料というのが、みなさんには大変違和感があったらしく、無理にお金を置くと争いになったこともあり、それならと品物を持ってこられるやら、大変でした。
そのうち、家で見浦の堆肥でできたと、大根の一本もお持ちいただければそれが私たちには最大にうれしいと申し上げて理解をしていただきましたが。

実はこんな考えを持つようになったのには、それなりに悲しい経験があるのです。
私たちが貧乏のどん底を歩いているとき、一円のお金も節約しなければならない、そんなとき人が不用品として放置してある品物でも、分けてくださいといえば、いくらいくらと要求される。それもかなりの高額な値段で。
道端の崩れた石も値段をつけられる。人の足元を見て、と悲しい思いを何度もしたのです。
でもそれでわかったことは、もし立場が逆になったら、相手も悲しい思いをするのだろうなと。
本業の商売に関係がない限り、必要でないものは差し上げては、と。

堆肥はまさにそれでした。どんなに努力しても撒ききれなくて余る堆肥は私にとっては無価値、自家用にお使いになるのなら無償提供をしようと。

ところが今や善意も金銭で評価する時代、拝金主義が横行する田舎では真意が理解してもらえなくて、逆に金を払うから積み込みをしろと強要する人まで現れて。
見浦牧場は特別、が定着するまで時間がかかりました。
ようやく「おい、見浦さん、また頼む」と勝手に積み込んで帰られる人が大方になりました。

まして都会の人が移住されてきたら、自然に回りがあつまってサイチンを焼く、そんな昔の風景を復活しようとしている、私たちは現代のドンキホーテ。でもそんな暖かい田舎を作りたいなと夢みています。

多忙で目が回る忙しさですが、近日中に訪問してお役にたてることはないか、見に行こうと思っています。

今日は井上さんの話でした。

2008.4.21 見浦 哲弥

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