2014年1月7日

熱中症

2013/8/17  熱中症にかかった。以前は熱射病と称した奴だ。連日35度をこす猛暑に、最初は息子の和弥がかかった。外見は変わらないのに仕事にならぬ、テレビでは毎日熱中症で病院に担ぎ込まれた話が多いのに、小板に住んでいる限り関係がないと思い込んだのが間違いのもと、それでも充分水を飲むなど対策をしていたのだが、もう一つの要素を忘れていた。

見浦牧場には2キロ離れたところに4ヘクタールばかりの採草地がある。昔はスキー場だったところだ。スキー場だったくらいだから高低差はある。何回かに分けて刈り取るのだが、例年なら近所に住む熊君の心配だけですむ。ところが今年は猛暑、連日36度を越すというのだから。小板は夏だけは別天地で別荘も増えたというのに、夜まで27,8度をうろうろする、夏の最大の魅力だった風も粘りつく感じで都会と変わらない、とんでもない夏の到来になった。
それでも、草刈も順調に済んで最後に残ったのがスキー場跡の一番急な小山、これを作業機を付けた総重量2トンのトラクターで上下しながら刈るのは毎年恐怖だった。昨年は同じ場所で、トラクターに足をひかれる事故もあったからなおさらで、緊張して注意力を集中して作業、それが悪かった。

時は12時、約1時間の作業で最後の周囲の掃除刈り、これが恐ろしい。草の中に外部から色んなものが転げ込んでいる可能性がある、しまったとブレーキを踏んでもトラクターは止まらない、タイヤが滑走を始めるだけ。異物はないか、滑走はしないか、などと注意力を120パーセントまで発揮する。もう少し、もう少しと自分を励まして、時間にして5分足らず、これが発症の引き金を引いた。

下まで降りてほっとするまもなく異状に気がついた。頭が痛い。「しまった、熱中症になった」、「モアーをたたんで家まで走行できるか」。
道路走行の途中の記億はない。一日に1台か2台しか交通量のない旧国道、何とか家までたどり着いて頭を冷水で冷やし始めて記億が戻った。それから風呂で冷水のシャワーを浴びて身体を冷やして、なんとか落ち着いたと思ったが、熱中症の後遺症が始まった。
熱中症というのは体温調節の機能が変調することだそうだ。一応身体を冷やしてほっとしたのも束の間、頭痛が始まった。ところが日本脳炎の後遺症と異なって、良くなったり悪くなったりする。朝方は落ち着いていて快方かなと思っても、午後になると物凄く疲れて頭痛が再発する、2時間ばかり寝ていると、気力が回復する、その繰り返し、おまけに食欲が消えた、3日間は殆ど食事が出来なかった。

一番大変だったのはコーヒーが飲めなくなったことだ。私は前立腺肥大で昨年末は病院で薬を処方されて服用した。ところが副作用がひどくて、発疹が体中にでて、猛烈に痒くて寝られない。薬剤師に聞いても、どの薬も大なり小なり副作用がある由で、私の体質がこの副作用に弱いらしい。そこでコーヒーを従前の4杯から6杯に増やして薬は中止したのだ。この民間療法が効いて小便の量が安定していたのに、コーヒーが飲めなくなったのだ。おまけに小便の量も激減、尿毒症の心配まで加わった。

8/24 土曜日というのに小便が出なくなった。明日は日曜日、倒れると緊急病院を探す羽目になる。さすがの私も大田病院に駆け込んで、かくかくしかじかと内科の先生に事情を説明する。先生いわく「明日倒れることはありませんね。小便の量が少ないのです。様子を見ましょう」。何しろ、H家の爺様は「あと一日で田植えが済む、我慢しろ」と言われて、頓死している。小便が止まって頓死するのは肥育牛でも多い病気で進行が早い。さすが私もビビったね。
幸い翌日から少しずつ小便の量が増え始めて安心はしたものの、微々たる回復で熱中症の恐ろしさが身に沁みた。何しろ今夏は老人が熱中症で大勢死んだというから、私も名を連ねるところだったのかも知れない。

暑さと水分不足を注意することが対策と信じていたが、ぎりぎりの状態では恐怖心も引き金になる、新しい教訓だった。

声を大にして自分に言う、"熱中症の警報がでたら仕事の量を半分に減らそう"。来年はうまくやるぞ。

2013.9.2 見浦哲弥

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