2013年1月27日

素直すぎる貴方へ

2001.10 久しぶりに貴方とお話をする機会がありました。最初の時は貴方はまだ大学生、後で色々と考えられたと人づてに聞いて真面目に聞いていただいたと嬉しかったものです。
いつの間にか随分と時間が経って30歳になられたとお聞きして驚きましたが、お話をしていて気づいた事があったのです。素直すぎると。
先輩面をするのは僭越であること承知ですが、半世紀も長く生きた老人の戯言と許して頂けると、この文章を書いています。

現在の日本は市場経済のシステムの中で動いています。別の言い方をすれば競争社会、その善悪を批評する気はありませんが、見方を変えれば激しい競争の繰り返し、学校でも会社でも地域でも。
このシステムは長所もあれば欠点もあるのです。肯定する人はあらゆる手段で勝とうとし、否定する人は競争の現場から離れようとするが、そんな両極端でなく中間に私達に生息域がある事を皆さんは見落としている、そんな気がしているのです。

貴方もご存じのとおり、見浦牧場は和牛を集団放牧の形で飼育しています。この方式は日本では少数派に属して十指に足らないでしょう。でもその牛達の生き方を見ていると競争しながら助け合っている、その微妙なバランスの取り方に教えられることが多いのです。

私達の社会と同じように彼等の世界も競争社会、強いものがリーダーになります。ところが弱い牛をいじめ回す牛は決してボスの座につけません。何故なのかなと長い間疑問でした。ところが二十数年前から起きた熊の被害の中で教えられたのです。

最初に6ヶ月ばかりの子牛が襲われました。2頭が群と別行動をとっていて熊に出会ったのです。1頭は地面に叩きつけられて死んでいました。ところが1頭はその隙に逃げ出して助かりました。問題はその後です。見浦の牛は集団で行動するようになりました。子牛でも出来るだけ多くの仲間と動くのです。考えてみれば1頭で熊と出会うと100パーセント命がない。10頭なら危険は1/10に減少する。そのためには集団が大きいほど助かる確率は高くなります。ところが優しくなければ仲間は増えません。思いやりがなければ集団が大きくならない。ここに思い至った時、自然は素晴らしいことを教えているなと思ったのです。

日本は資源小国です。国内資源で養える人口は5000万にから7000万人ぐらいでしょう。生きるためには外国から原料を購入し加工して世界の人達が求める商品を作って売る加工貿易しか生きるすべが有りません。誰もがほしがる商品それを作るのには知恵がいります、技術が要ります。それは努力と競争の中からしか生まれません。それが小泉さんのグローバル化、競争社会なのです。
その小泉さんの政治は富めるものと貧しいものとの差を拡大してしまいました。貧富の差が大きくなり社会の脱落する人(本当に脱落者なのか?)増えました。だから競争社会は駄目だと極論する人達が出てきたのです。

見浦の牛達はこの事も教えています。草を食べるときも、餌箱から飼料を食べるときでも、競争を忘れません。でも美味しい草がないから絶食するという牛はいません。みんなそれぞれに生きて行くために全力を尽くします。その積み上げの大きさの差で集団の中での地位が上がって行く、そしてリーダーにたどりつく。でもどうしても負ける牛が何頭かでます。その牛は私達が牛舎に連れて帰って飼直をしています。

私達の社会もそれと同じだと思うのです。資源が乏しく加工貿易で国が成り立っている、外国の人達がほしがる商品が生産できなければ、食料も原材料も手に入れることは不可能です、日本の成功を手本として、台湾、韓国、中国、インドなど世界の後進国が工業を発展させ加工貿易に乗り出してきました。ホームセンターに並んでいる商品の大部分が、これらの国々が生産したものです。同じ品質の商品を作っていたのでは、労賃の安いこれらの国の商品が勝に決まっています。
競争力のある商品、工業製品だけでなく、農産物、システムまで、それは発想の転換と努力の積み上げの中でのみ出来上がると思うのです。
こう話すと、とても難しい話しと思うでしょう。それでは身近に起きた話しをしましょう。

敗戦後、都市の復興のため中国山地から木材を始め様々の資材が都会に流れました。
その運搬のためトラック1台のミニ運送会社が乱立しました、小板にも松原にも。
しかし都市が再建され物資の流れが変わりました、勿論、時代を先取りして新しいニーズに対応し巨大化に成功した有名会社が続出しましたが、山間のミニ運送会社は減少する貨物の取り合いで運賃の値下げ競争、その結果、廃業、倒産が相次いだのです。

そんな時、牧草を運んできた運送屋の若い経営者が、もうお先真っ暗と訴えたのです。
その泣き言を聞いているうち猛然と腹が立ちました。部外者の私から見ても視野がせますぎる。
そこで聞いたのです。「あんた何で商売してるンね」
当然の答えが返ってきました。「運送をやって商売をしてる」
「なんでもう一つ売らんのかい」彼がキョトンとしたのを覚えています。
「たとえば問屋の倉庫に牧草を積み行く、どの種類の牧草の在庫が多くて、どれが不足しているか、見ることが出来るはず、現場の職員と立ち話をすれば、もっと詳しくわかる、その中には荷卸し先の牧場が必要な情報があるかも知れない、また牧場での世間話で牧草の本当の品質や牛や馬の食い込みの情報も得られるのではないか、それは問屋にも商売のプラスになる、何故情報も一緒に売らないのか」。
運送屋は様々な商品を運ぶ、そこには様々な情報があるのでは、その情報を選択してお客さんに伝える、そんな競争もあるのではと。

途端に彼の顔色が変わりました。私と違って大卒のインテリ、頭の回転は速い、愚痴の羅列はなりをひそめて、どうすれば新しい方法を取り入れられるかと真剣な議論になりましたが、それから先は門外漢、彼の発想の展開を見守るだけでした。

あれから30年余り愚痴の青年は山県郡最大の運送会社の社長に、目下は3代目の経営者になる娘さんの教育に全力をあげている。
そんな彼が「1年に1回はあんたの顔を見ないと心が落ち着かぬ」とやってくる。2回も来るときは会社に問題が起きたとき、あの時の一言がまだ続いているのです。

私達はこの巨大な社会の機構に目がくらんで何も出来ないと思い込んではいないだろうか、巨大故に生じた隙間や、発展ゆえのひび割れが数多くある、それを見落としているのでは、そして、そこから水漏れを見逃しているのでは。
この社会が健全に発展して行くためには、その隙間を埋め水漏れを止めなくてはならない。そこが若者や中小の起業者に取って腕を振るう絶好な場所なのです。大企業や大資本は小さな機会や利益は追っかける事はしないものです。資本金何百億の大会社がそんな小さな利益を追っていては大勢の社員を支える事は不可能ですから。

ところが、そこが隙間ですよとは誰も教えてくれない。朝が来て一日が終わって、これが普通だと思ってしまう、運送屋の社長さんの様に目の前の現象だけしか目に入らない、貴方が自動車のライセンスを取るときに、指導教官が道路の左右にも気をつけてと教えたはず、何が飛び出すか判らないからと、ところがいつの間にか注意するのは全面だけで回りの変化などは気がつかなくなる、それが人間のサガなのです。
それを気付かせてくれるのが出会い、それは会社の上司かもしれないし、隣のオジサンかも知れない、まれには後輩かも知れない。私の人生では、それが何度も起きました。とんでも無いところでね、それが無学な田舎の爺様の話を聞いてくれる多くの人を持つ事に繋がったのです。有り難いことです。

たった1度の短い人生です。少しばかりアンテナを延ばしてみませんか?思いもかけぬ出会いがあり、とんでもないチャンスに出会うかも知れませんよ。

今日は爺様の戯言を聞いていただきました。

2012.8.18 見浦哲弥

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