2012年8月18日

新同行、善戦す

2009.5.6 亡くなられた、福住のおばさんを見送りました。

4年前、それまであった、お葬式の互助会、小板同行が労力不足と集落からの支援金の打ち切りで、どうせの事なら葬儀会社に丸投げをして集落は関わらないと決議をし、住居を移して来られた方の葬儀を強行して辛い思いをさせました。
その反省で新同行を立ち上げた経緯は、前回”同行崩壊す”で報告しました。

新同行になって福住さんで8人、私達が故人を見送りました。慣れ親しんだ身内の方の死は大小はあるものの、肉親の方には衝撃、それを少しでも和らげる役割は出来たのではないかと思っています。
今回の様に事故で肉親を失ったときは、お骨にするまでの時間を新同行が物心両面で支えて、気がついたらお仏壇の前に仏様が骨壺に入っていた。
それがどんなに有り難い事か、それは当事者にならないと理解できないことなのです。

実は私は36才で父を事故で失っているのです。

12月の雪の日の夕方、戸河内からのバスで帰宅した父は30センチほどの積雪の中、バス停から50メートルほどの自宅に帰る途中、小川に転落、死亡したのです。
一緒に帰った隣家に嫁いだ妹からの電話で家の周りを捜索をしてもいない、別に小川を探していた義弟の「いたぞ」の声で飛んでいった先は200メート下流の水の中、すでに死亡していました。

私は長男、父には兄弟はなく、亡母の姉妹は北陸、責任は全て私、どうすればと頭が真っ白になったのを覚えています。
家を出たときは80近くとは言いながら、元気な姿だった父が、物言わぬ姿になって目の前に横たわっている、今振り返っても何を考えていたのか、思い出せません。
 
当時、お葬式の時は両隣が願人として差配をするのが小板同行の定めでした。
「お寺さんへの連絡は」「親類への知らせは」「その前に葬式の日時を決めたら」、願人の問いに答えると、次々と人が動いて行く、日頃は何をするにも議論百出で動かない人達が水が流れるように。

もつとも、意見が分かれて折り合いがつかなくなると、口論が起きてせっかくのまとまりが崩れることもあって、それが後に同行の決め事を明文化しろとの命令が私に来ることになるのですが。

でも、父が死んで3日目に、父の骨を骨壺に納めて仏壇に返したときは、もう否応なしに踏ん切りがついていました。
振り返って悔やんでも、どうにもならない、残った者が頑張って、家を支えて行かなければならない、それが、どんなに辛い仕事でも、逃れるすべはないのだと。
 
人間が必ず出会う、大きな衝撃、激しく揺れる心の不安を、ささやかながら支えて上げる、それが同行の精神だと思うのです。

覚悟を決めることを、オリョウギを据えると言います。そのオリョウギが座るまで、支えてあげる、これが大切なんだよと、新同行の仲間達に理解して貰おう、言葉に出して訴えてみよう、そして理解して貰ったら、大声で「新同行善戦す」と叫ぼうと思っています。

2009.6.14 見浦哲弥

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