2013年1月6日

幸せの数

この地方では運のいいことをマンがいいといいますが、他人はとかく良くみえるようです。
友人のO君の口癖は「わしゃーマンが悪い」でした。
ところが私からみると彼は人並み以上に幸運だったと思うのですが、マイナス面だけ取り上げて、不幸じゃ不幸じゃが口癖、これには我慢ができませんでした。

生意気なようですが、早く母を亡くし、恵まれた中産階級の生活から一転して没落地主の厳しい現実の中で生きた私には幸運だけがやってくるというのはおとぎ話の中だけ、いやおとぎ話にも運不運はありましたね。結末が幸せで終わるだけ。
そんなわけで「マンが悪い、マンが悪い」のセリフに我慢ができませんでした。

彼が60過ぎのときでしたでしょうか、例によってマンが悪いが始まりました。聞き流そうと思ったがそのときは虫の居所が悪かった。それでつい本音が出てしまいました。

”君はマンが悪いを口にするけれど、運のよかったことを数えてみたことがあるのかい、私から見ると君の幸運の数は他の人より多い気がする、数えてみようか”
彼は憤懣やるかたない顔で私をにらみつけました。そこで私は知る限りの彼の幸運を並べて見せたのです。

君はお母さんの連れ子、それを実子同様に大事にしてくれた養父、彼曰く、「小学校に入学するとき、いじめられては」、と入籍してくれたな。

20代の後半、結核で長期入院をしたとき、養父と奥さんが力を合わせて子供たちを養い家庭を守ってくれた、それは幸運とは言わないのかい。

6人いた子供さんが全員成長できた。医者から見離された大病のお子さんもいたのに。

と数え始めたのです。黙って聞いていた彼が「もういい」と一言、それ以後は私の前では「マンが悪い」が消えました。

人間誰でもいいことばかりではありません。苦しいときもあれば、悲しいこともある。家庭が明るくて、家族が助け合って、貧乏でもあるが食べることには事欠かない、贅沢は夢でも時には笑いはある。そんな生活でも心の持ち方一つで幸せにも不幸にもなる。

私の人生の物差しは自然、山奥の小板は文化の恵みは薄いが、山川草木、周囲はすべて自然、おまけに私たちは動物相手に働き、生活している。だからこそ自然が物差し、お寺さんでもない、牧師さんでもない、それが自分の物差し、身近な自然現象が生きるよすがを教えてくれる。

人間だから不運が続くことはある。しかし悪天候が続くことはあっても、やがては晴れてそよ風が吹く。生きていてよかったと春風も吹く。そしてあきらめてはいけないと自然が教える。
幸せの数と不幸の数は同数かもしれないが、心の持ち方一つで不幸と思っていることが幸せに変わる。そして幸せの数がひとつでも多ければ素晴らしい人生なんだと気づいてほしい。

一度だけの命、生まれる定めは自分では決められない。でも生き方や考え方は変えることができる。だから自分の幸せと不幸の数を比べてみよう。ひとつでも幸せが多いと気づいたら、生き方も変わるかもしれない。

人生の終わりにたどり着いて色々なことが見え始めている。もう私には役に立たない話だが、若い貴方には参考になるかもしれない。いい人生にしてください。

2012.3.8 見浦 哲弥

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