2014年2月23日

水道物語 2

前回、”小板昔日”で小板の簡易水道の建設の成り行きを書きました。その組合が安定して運営されるまで、様々な出来事が起きました。今日はその後日談です。

水道は出来ました。しかし、その運営を本気で考える人はいませんでした。水道は出来た、邪魔な見浦は追い出した、水道の水が欲しければ頭を下げて頼みに来い、それならお前にも水道をつけてやる。私は頭を下げる理由がないと突っぱねました。全戸の飲料水を供給するのが初期の目的でした。M爺さんのように極楽だと喜んでいるのに騒ぎを大きくするのは本旨ではありませんでしたから。

幸い飲み水は昔の横穴から清水が出ます。畜舎用の水は小板川の伏流水を汲み上げて使いました。

ところが2年ほど経ったある日、友人のO君が訪ねてきました。水道組合がうまく行かないから立て直して欲しいと。詳しく話を聞くと、水は余っているからと使い放題、豚を飼うボスやその一党と、飲み水と風呂だけに使用する人達とで出役が同じ、それで不満がたまったのに、沈殿槽の砂の交換の費用や線路の修理部品代まで負担を平等にかけた。これには、さすがに大人しい人達も憤慨して収集がつかなくなったと。

小板に潜在している古い悪習に、日頃は声を上げない人達が怒り狂って、小ボス達の手に終えなくなった、だから言いだしっぺの見浦に始末させよう、そういうことになったとの話でした。

最初のいきさつを忘れるのには時間が短か過ぎた、あのときの立腹はまだ収まっていない。だが水道がなくなれば、たちまち困るのは小農や貧乏な人達、逃げるわけには行きませんでした。そこで私の案に異論を唱えないこと、一つでも反対したら手を引く、それでもよければ後始末をしようと。普段なら「見浦の野郎」とのめない提案も住民の怒りを納めるすべを失った彼等は不承不承でも承諾するしかない、出来るものならやってみろと。

解決法は一つ、水の使用量に対して料金を取る、この方法しかありません。しかしメーター(量水計)を設置する資金がありません。そこで集落の共同財産を利用することにしましたが、何かと雑音が入る。そこでもう一つの要求をしました。「共同財産を管理する小板振興会の会長にしろ」。
もう一つありました。「水道組合員でもない奴の意見を聞くのかと言う人がいる。組合員になってくれ」「いいよ、組合員になろう」。最初の敷設の時、各戸一個ずつの蛇口と配管をした、これをどうするか。「見浦は勝手に組合に入らなかった。そんな奴に配慮はいらん」、ボス連中には随分憎まれていたのです。しかし、そんなことは瑣末なこと、「配慮はいらん」と宣言してゴリ押しをやりました。

さて、ボスどもの不満を押しのけて組合長と会長になりました。そこで振興会が費用を負担して各戸に水道メーターを取り付け、使用量に応じて料金を徴収する案を提示しましたが、一つ問題がありました。振興会の会員のうち、私ともう一軒が水道を利用していない。
私は組合に入ることにしました。前述のクレームには「ハイハイ、そのとうりです」と反論しませんでした。そんなことより本当に水が必要な人達のためには早急に解決しなっければなりません。それより、もう1人の方の方が大変でした。現時点では豊富な谷水が落差を伴って流れてくる。水道の必要は全くありませんが、権利は権利です。将来必要になったときは水道組合が無料で敷設するということにしました。ところが水道の端末から、お宅まで1000メートル近くあります、大金が要る、そんな金は出せないと、又ボスどもが騒ぎ始めたのです。その人は振興会が敷設を保障してくれれば反対はしないと約束してくれました。そこで成り立ての会長の私が「そのときは組合員の皆さんにも協力してもらうが、個人としても責任を持って約束を実行します」と答えて賛成を得たのです。幸いボス連中よりは私の信用度のほうが高かった。

工事が始まりました。しかし、まだ問題がありました。料金を取ることです。「小板では今まで水を買うような生活はなかった、水代を取るとは何事か」。
あら捜しに躍起になっていたボスどもが、ここでも声を荒げました。そこで基本料金は30リューべまで300円、30リューべ以上は、1リューベ15円と決めて振興会の会員には振興会から配当金として月300円を支給、これを基本料金に充当することにしました。
これは効果がありました。殆どの人が実質無料となり、料金を支払うのは一部の畜産農家と学校と別荘の人達、おまけに今まで奉仕だった労力提供も時間給を支給することにしましたから、不満は一挙になくなりましたが、収まらないのは、これまで無制限に水道水を使っていた畜産農家、ハウスの散水に使用していた農家です。

小ボスの畜産農家が怒鳴り込んできました。7万円も水道代を取られたぞと。そこで、水道は濾過の費用や消毒の費用がかかった値段のある水なんだ、それを豚小屋の床洗いまで無制限に使って、お金が要らないと思う方が非常識、掃除用には前にある小川の水をくみ上げて使え。この論理に負けた彼は川端にポンプ小屋を作って対応してくれましたが、間違った論理を信じる性癖は彼の事業を倒産に導いてしまいました。
もう一軒の畜産農家は豚舎に家と別回路に水道管が繋がれていました。それを住居の方だけメータを繋いで豚舎は内緒で水道を使っていました。あれはどうしたと聞くと不正に気がついた小ボスが、大ボス君に「有力者のくせにけしからん」と、抗議したといいます、公にするぞと。さすが大ボス君これには参って以後高額の水道料を払う羽目になりました。しかし、波及効果もありましてハウスに内緒で使っていた連中も、何時の間にか自費でメータをつけ、水道に関する限り不正はなくなりました。
以来、40年間、飲み水にも苦しんだ小板では、渇水期に節約を要請することはあっても給水が止まることがありませんでした。

しかし、歯止めのない人口の流出は維持管理の人員も足らなくしました。今年は人手不足で沈殿槽の手入れが2ヶ月も遅れて、遂に見浦家だけで作業をする羽目になりました。しばらくは、この状態が続くかもしれませんが、松広のお爺さんの「見浦さん、毎晩新しい、お湯の風呂に入れる、極楽でよー」の言葉を思い浮かべながら、何とか頑張ろうと思っています。

追記:「後日、水道をつけてあげる」の約束は、その方が国道191号線の辺に住居を移されて権利を行使して解決しました。

2013.11.13 見浦哲弥

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