2012年5月20日

こがーなお客さんがおるんじゃけー

時折、広島の大きな電気店のチラシが入ってきます。広島という地方都市を拠点として全国展開をしている有名な電気店です。そのチラシを見るたびに50年あまり前に聞いた「こがーなお客さんがおるんじゃけー」とお店の隅から聞こえた声が蘇るのです。

貴方は再販制度というのをご存知ですか?メーカーが販売価格を指定して系列店に商品を卸す制度です。戦後確立したこの制度で消費者は大メーカーの品物はどこで買っても同一価格、そして今考えると想像もできない高い価格を押し付けられていたのです。たとえば子供が広島に下宿することになり、扇風機を買ってやりました。20センチが9000円、1-2年後に30センチの扇風機が4000円で買えたときには、詐欺まがいの価格設定だと憤慨したものです。

発足当時、第一産業という社名だったこの会社は全国から倉庫に眠っている商品や過剰在庫の商品を買い集めて安値で販売してくれたのですから、貧乏な私たちには救いの神、早速熱心なファンになったのは言うまでもありません。

しかしながら第一産業は広島市内にある。当時は広島市まで行くのは役場のある戸河内まで約20キロの山道を歩いて、そこからボンネットバスで3時間、おいそれとは行けない遠い遠いところでした。

あれは昭和29年かな、何の娯楽もない雪の中、ラジオを聴いて寝正月と決め込んだ元旦にそのラジオが故障、戦後素人が組み立てた安物のラジオで修理がきかない。困りましたね。家中のお金をかき集めても1万円弱しかない。町の電気屋に頼むと2万円前後もする。まだ何もかも品不足の時代で何もかも高かった。
この手持ち金では安売りの第一産業にいくしか方法がないと思い込んだのです。

当時は私も20代前半、血気盛んでした。思い立ったら即実行。80歳を超した今では想像もできません。お正月の2日というのに広島に出かけたのだから。現在はお正月の初売りは2日が当たり前で元旦から開いているお店も珍しくありませんが、当時は正月三が日はお休みと決まっている。食べ物屋も休業が当たり前でした。それも忘れていたのですから頭に血が上っていた。

広島に着いたのは昼過ぎ、紙屋町の第一産業に駆けつけると大戸が堅くしまっていました。そこで初めて正月は休みだと気が付いたのです。休みでしたと手ぶらで帰るには小板は遠すぎる。えーいままよと潜り戸をたたきました。大声で「こんにちは」と何度も呼びながら。

暫くたたくと「何ですか」と声がして壮年の男の人が顔を出しました。「ラジオを売ってください」と言うと「今日は休みです」との答え。当たり前です。でも朝早くから一日ががりで出てきた広島、「はいそうですか」で引き下がるわけにはいきません。実はこういうわけでと説明して、何とかなりませんかと食い下がりました。暫く考えた男の人は「そんな理由ならお売りしましょう」と店内に入れてくれました。「その棚がラジオです。お好きな品を選んでください。」言い終わると商品棚の陰に消えたのです。

照明の消えた店内は明かり窓の光だけ、目を凝らさないと何も見えませんでした。
やがて目が慣れて棚の上の商品が見え始めました。バラックのお店とはいえ、山県の山奥まで名前が通った第一産業、いろいろなラジオがありました。そのとき、品定めに懸命な私の耳に聞くともなしの声が聞こえてきました。人がもう一人いたのです。男の人が。
「もう一度やろうや」「そうはゆうてものー」・・・その繰り返しでした。
「正月にの、山県の山奥からお客さんが第一産業いうて訪ねてきてくれる、わしらー間違うちゃーおらん。こがーなお客さんがおるんじゃけー、お客さんのためにもう一度やってみようや。」「そうよの、お客さんが来てくれるんじゃけーの」

聞くとはなしに聞いた話、ラジオが買えた嬉しさに気にも留めませんでしたが、帰宅して新聞を読んで驚いた。第一産業は年末に倒産していました。

家電メーカーが価格をコントロールできる再販制度を維持するため、製品の出荷停止を含めて様々な圧力を加えたといいます。一地方の小さな販売店が抵抗するには規模の差があまりにも大きかった。独禁法が当たり前の現在では想像もできませんが、それが現実でした。
私が訪れたとき、第一産業はそのどん底にあったのです。そうするとあの会話は?

聞くともなしに耳に入った会話、そうです。もう一度大企業に挑戦しようとしていた、社長さんと腹心の重役さんとの会話だったのです。それから何年かすると、また第一産業の看板が上がりました。小さなお店だったが嬉しかった。

貧乏な私たちはささやかな品物しか買えなかった。でも電気製品を買うときはまず第一産業でした。耳の奥に残る「お客さんがおるんじゃけー」の言葉に促されて。

第一産業は社名がデオデオに変わり、エディオンに変わり今では日本でも3本の指の中に入るまで発展しました。先々代の「お客さんがおるんじゃけー・・・」の言葉を忘れない限り、まだ発展するでしょう。偶然めぐり合った小さな接点、若かった私には生涯の勉強になりました。

2012.2.3 見浦 哲弥

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