2008年11月5日

文章を書く

 私が文章を書き始めたのは、カナダに住む一番下の妹(サチ子)に母のことを書いてくれと頼まれたのが始まりです。
 私が小学校6年生のとき、5人の幼い子供たちを残して、ガンに倒れた母の記憶が、当時2歳だった妹には全くない、それで兄貴がボケないうちにと依頼されたのでした。

 はじめは思い浮かぶままに文字の羅列に過ぎなかった文章も、少しは進歩したのか、自分で読み返しても面白く、あんなことも、そんなこともあったと、人生を振り返るよすがになりました。
 ところが一方老化も進行し、あの事も書いておきたいと思っても、いざパソコンに向かうと頭から消えていることが多く、そこで、思いついたら即、題名と書き出しだけをメモることにしたのですが、今度は未完成の文章が山積みするようになりました。

 気分が向いたらコンピュータに話しかける、それも2-3行づつ。この方式では完成までにとんでもない時間がかかるのですが、積み重ねるということは恐ろしいもので、半年から1年後には仕上がっていく、まとまりを欠く恐れは多分にあるのですが、目下はこの方式で書いています。

 しかし、人間というのは勝手なもので、いざ、記憶を文章に変えようとすると、成功したときや、自分が正しかったときが前面に出てしまいます。世の中そんなにうまい話ばかりではなくて、私もご他聞に漏れず、失敗も間違いも結構ありました。
 それがなかなか出てこない。今となっては失敗も文章の彩りになるのにと、残念です。

 最近は見浦牧場のホームページの読者が増えてきたようです。面白いといってくださる方も多くなりました。
 無学の私の文章にも興味を持ってくださるのは、見浦牧場の考え方の基本が皆さんと少し違っているせいでしょうね。
それは何か、見浦牧場の判断の基準は「自然」なのです。自然の現象を観察して、自分たちの考えて照らし合わせてみる、自然が生き方のものさしになっている。そのことだと思います。

 見浦牧場は中国山地の真ん中にあります。厳しい気象、自然環境、そして経済条件。その中で懸命に生きてきた家族の体験や歴史は外部の人には面白いレポートと読まれるのでしょう。
 でも、見知らぬ人から読んでますよ、と声をかけられ、一部でも私たちの生き方に賛意を示してもらったときは、書いてよかったなと思うのですよ。

 今日、隣部落の高信さんが訪ねてきました。彼は私たちの又従兄弟、もう80歳をはるかに過ぎたのに、もうろくの兆しはなく、昔話に華が咲きました。彼もマイコンで記録をとっているとか、もともと頭のよい人でしたが、まだ衰えていない。
 お互いにこの年までボケずに生きてこられて、数多くの経験とそれなりの知識を持っているのに、次の世代に伝わっていない。記憶が失われる前に文章にして記録しておこう、と意見が一致しました。

 1時間あまりの話の中で、彼も私も知らなかったことを数多く知りました。残った時間はわずかです。急いで記録してゆきます。
 残念なことは、もう少し文章がうまいと、皆さんにより多く読んでもらえるのでしょうが、そこは我慢して読んでください。

 では、これからも、思いついたまま、駄文を書き続けますので、どうかよろしく。

2008.6.3 見浦 哲弥

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