2010年1月14日

時間が飛ぶように消えてゆきます

父が人生を終えた年齢、79歳にあと2年になりました。健康に恵まれて忙しい毎日を過ごしてはいますが、時間の消えることの早さ、若い日々の頃には想像もしなかった時の流れです。
私の家族は今の農村では珍しくなった3世代同居の大家族なのですが、その世代、世代で時間の流れが違っている、まさに異次元空間を共有しているかのような不思議な感覚です。

これが人生の長い時間の末に見ることができる不思議な世界なのだ、と思っています。
この時間のあり方を、ほんのわずかでも若い日に予測し、理解できていたら、一度きりの人生の時間をもう少し効率的に使ったと思うのですが、これは老人の戯言です。

しかし、毎日トラクターや重機に乗車して作業しながら、友人たちが早くから仕事の第一線から離脱し、人生から立ち去ったことを思うと、私はずいぶんと幸運な星の元で生きたのかな、と考えることにしています。
20代の前半に三次で70歳を超したおじいさんに農業機械の指導を受けた時、その年で矍鑠(カクシャク)としている、とんでもない化け物だと思ったものです。今の私はその化け物に近付き始めているのかも知れません。

でも読書の量が減ったのは痛いですね。たとえば、かつては文芸春秋を3日で広告まで読み切ることができたのに、今は1カ月も2カ月もかかる。文字を追い、頭に絵を描く、それが2-3ページしか続かない。残念ですが、それが現状です。

読書だけではありません。若いころは機械の中身がどうなっているか、疑問を感じたら分解して確かめなくては落ち着かなくて、分解し、組み立て、青写真を見て、説明書を読んで、それでもわからないと専門書を探しに行く。もっとも私のことですから専門書といっても初歩の初歩でしたが。
それが、これはと疑問を持っても、ま、明日にしよう、ということになってしまいした。明日が少なくなったというのにね。
ですから、作業場には明日分解して修理して再生するはずの機械や部品が山積みになってしまいました。2007年12月、スクラップ屋さんに処分してもらいましたが、その一つ一つの疑問や思いつきを解決しないで処分する、一つの終わりを感じたものです。

私の時間が止まらないで終わりに突き進んでいく、人生は厳しいですね。二度とない人生が終わりに近づいてゆく、人はこんな時どう対応するのでしょうか。

宗教に救いを求める、趣味を追い求める、旅行をしてまだ見ぬ世界を見聞する、選択は個人の自由ですが、その数は無限にあるように思えます。でも、その一部でも満足するだけ追うのには時間が足りません。最後にはあれもこれもとし残した事柄の多くに悔いが残る、私はそんな気がするのです。

思いあがりかも知れませんが、それよりも一人でも多くの出会いを探す、心に暖かい思い出を残すほうが豊かに人生を終えることができると思っているのです。

昨夜(2008年1月28日)一人の男性が訪ねてきました。家の前を走る大規模林道で雪の中で立ち往生したので助けてほしいと。今年は珍しく救援依頼がなくて安心していたのですが、深夜の作業が済んで寝ついたすぐのことで、さすがの私も参りました。
年の頃、60前後か、今から益田へ海釣りに行こうとして近道をして通行止めの表示を見逃したとか、話を聞いてみると、場所は刈尾山の吹きだまりの地点、「スコップを貸してくれ、自分で掘り出すから」とというその人を雪道の怖さを知らない都会人と投げ出すには良心が許しませんでした。
身支度をして救援に行くことにしました。時刻は午前4時、場所は前述の熊の出没する地点、今年は前年がどんぐりの豊作だったので冬眠しているとは思うものの油断はできません。
本人はそんなに大げさにしなくてもと、不満げでしたね。
出かける前に、「初めに確認しておくけれども、約束してほしいことがある」というと、彼「金なら出すけぇ、心配せんでくれ」と。
「金はいらん。わしゃー、人に助けられたことがあるんよ。じゃけぇ、困っとると助けを求められたらできれば助けることにしとる。もし、あんたがそんな時に出会ったら、一度でええけぇ、助けてあげて。これが条件。」
「変なことをいいんさるのー。わかったけぇ」「車が上がったとき、お礼じゃー、金じゃーいいんさんなよ。」

1キロほどの除雪されていない雪道を走って現地に到着してみると、案の定、吹きだまりのい雪の中にスタックして亀(車輪の下の雪が空転でなくなって車体の底が雪につかえて浮いている状態)になっている。
車の横を除雪してみると車輪の下は60センチもの雪、大仕事になりました。
60過ぎの運転手君は、さすがに事が片手間仕事ではないと真剣になりました。
ところが素人ではなすすべがありません。ただ眺めるだけ。車の向きを変えるにも道路上の雪は完全に除去しなくてはなりません。向きを変えて下りの今来たわだちに乗るためにも、助走の距離が必要です。笑いごとではありませんでしたね。

雪の夜中、一時間余りの悪戦苦闘の末、路面を掘りだしました。その狭い区間で滑りながら方向転換をしました。ところが来た道のわだちに乗るためには、さらに助走のための除雪が必要でした。
ようやく動けそうになったとき、彼は挨拶に来ました。「わだちに乗ったらとまらんけー、お礼いっておきます。どうも有難う。」彼の態度が「金はあるけー」と行った時とは変わっていました。
人生の垢が洗い流されて、本当の人間が見えてきた、そんな素直な態度でした。
へー、人間ここまで変わることができるのか、と今度は私が感心したのです。

車が雪道にうまく乗り走り始めて、挨拶のクラクションを鳴らして暗闇に消えて行った時、疲労を忘れて充実感すら覚えたのです。

今年も大規模林道に小さなドラマがありました。

2008.5.18 見浦 哲弥

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