2009年7月8日

裏話 小さな農協の監事の小さい声

ひょんなきっかけから農協の役員に選ばれて、かれこれ15年近く農協の経営に参画しました。
内部にはいって業務が理解できるにつれ、矛盾や改良すべき点が目につくようになりました。
理事時代、組合長をリコールして交代させたこともありますが、今日はその話ではなく、1期務めた監事の時の裏話を聞いてください。

農協の役員は勘弁してくださいと辞任した私に、今度は監事をやれ、と依頼がきました。
もうやらないと言ったのに、どういうことや、と聞くと、役員選考委員会で決まったんや、是非とも引き受けろと。
農協の役員は3年ごとに総代会の選挙で組合員の中から選ぶ建前になっているのですが、実際には旧農協(戸河内農協も戸河内、松原、上殿、寺領、二郷の合併農協)の地区から役員選考委員が選出されて、この地区からは誰と誰を出したいと推薦する。その結果を地区に持ち帰って承諾を得て総会にかける。総会では選考委員会の提出した名簿を承認する、という手順になっていました。
ちなみに松原地区は理事2名、監事1名。

私は4期理事を務めましたから12年務めたことになります。他の方の半ば名誉職?と違って、牧場の仕事で目が回る忙しさ、その中で月一の役員会は苦痛でした。
中島先生の言葉に人生をかけて生きてきた私は、在任中に「次期組合長は君だから身辺をきれいに」と忠告され、そんな話が事実になったら一大事と理事を辞任し、農協の出資金の名義も息子に書き換えて安心していた矢先だったから驚いた。

「名義も息子にして農協から手を引いた、と何度も貴方に話したのに」と怒っても「蛙に小便」で「今から選考委員が集まって代人を決める時間がない」と取り合ってくれない。田舎では役員というと名誉職、それが嫌だという奴の気がしれないと。

泣く子と地頭には勝てないと、新しく出資をして監事に就任、後に責任問題に連座させられて賠償までさせられたのですから、まさに踏んだり蹴ったり、でもその話は又の機会にして、今日はどこでもあった地元農協の見えない裏話です。

さて、監査に就任しました。ところが理事仕事は12年も務めれば経験で大概の業務が理解できますが、監事は素人、勉強もしましたし、経験者のお宅を訪問して話を聞きました。
ところが現実にはどこから手をつければよいか、誰も的確な指示はしてくれない。最年長の元郵便局長氏は算盤を出して伝票の再計算に血道をあげる始末、そんなことは違うのではと思ったのだが、相手が先輩では。

ならば私の道を行くかと、監査会担当の議長に貸付金の帳簿を見たいと要求すると、別室でと案内された部屋の机の上に帳簿が山積みされていました。しまった、これを全部調べるのかと後悔しましたがあとには引けない。関係書類も見たいので、というと、部外秘ですので、と念を押されて借用書までならべられた時には、監査役の権限の大きさと責任の重さに心臓が締め付けられる思いでした。
もちろん、私も農協から融資を受けていましたから、自分の書類もその中に含まれていました。

帳簿の項目ごとに関係書類を照合していくと、借用書の自署捺印の欄の署名の筆跡が同じものが何通かありました。窓口の職員が代書したのでしょうね。これは違法です。
利子の支払がなされていないのが何通か。これはどんな理由で遅れたのか、督促の現状はと課長の説明を要求。目下厳しく支払を請求中で、最後は裁判まで考えている、疑問の項目には当然の処置をとっていると説明を受けるなど、監査の業務にも少しは慣れてこの方式で受け持ちの仕事をこなそうと決めた矢先、とんでもない不正処理の項目が目に留まったのです。

それは、貸付原簿のある項目でした。通常、貸付金は毎年一定の金額で減少していく。これが原則です。元金の返済があるためです。ところがこの項目の貸付金は減少どころか、毎年増えている。しかも小さな金額ではない。この項目の借用書を探し出して確認すると、私の友人、町の有力者で、農協の中でもかつては有力な役員だった。
しかも私の考え方に理解を示して協力してくれた友人。
何度も何度も確認をして事実を理解したときは、頭の中が真っ白になりましたね。農協でも資金関係の情報は関係者以外に漏れてはならないとの鉄則があります。めったなことは口に出せない、そこで担当している金融の課長を呼んで、この貸付の詳細な情報を要求したのです。

やってきた課長が言いづらそうに話した全容は次の通りでした。
数年前から元金の返済が止まったこと、その後利息の支払いもなくなったこと、相手が農協でも有力な役員だったこともあり、対応に苦慮して監査時に監事にも相談したこと、しかし明確な指示がなく、やむをえずこのような違法な帳簿処理で粉飾したこと、等等を報告してくれたのです。

そういえば、組合長と専務が「誰さんはしわい(注:苦しい)で」と話をしているのを聞いたことがありました。この件は根が深く誰もが避けていた案件だったのです。
勘ぐれば、こじれてしまったこの件を解決するには、正論ばかり主張する見浦を使おうと考えていた人がいたかも。
その時には気がつかなかったのですが、以後の経過はそう教えていました。

難問を先送りした前任の監事には腹が立ちましたが、現監事の中では私がずば抜けて長い役員経験者、これは一人で担ぐしかないなと結論を出しました。そこで文章にして同僚の承認を得て理事会の結論にする方法を取ることにしました。

こう書くと、迷いもなく正しい決断をして実行する正義漢見浦と思われるかも知れませんが、とんでもない。
私も農協を通じて国から牧場建設の資金の貸付を受けていましたし、運転資金として、餌代、子牛の貸付など、直接、間接に農協からの借入金がかなりの額になっていました。

私は見浦家の没落を体験して、借金が嫌いでした。ところが自己資金の都合がつく範囲で小さく小さくまとまろうとする考えに、農協の専務さんが「今の時代に事業をしようとすると他人の資本も考えないと成り立たない」と意見をされたことがあるのです。ところが資本論をはじめとして経済の知識を少しはかじっていた私は、その対極にある恐ろしさも知っていました。友人の話は即、明日の私かもしれない。その恐怖心と責任感との間を何度往復したことか。あなたは笑うかも知れませんが、小心者にはつらい辛い決断だったのです。

監事に就任したら最初の集まりで監事のボス筆頭監事を互選します。幸いFさんというベテランの先輩がいたので、全員一致で彼を選んだのですが就任間もなく病を得て亡くなられ、後任はということになりました。前歴からういうと、見浦さん、あなたが筆頭幹事という意見を押さえて、年長のSさんにボスをお願いしました。その関係でSさんは私の意見を尊重してくださいました。悪いけれどこれを利用させてもらおう、そう思ったのです。

そこで、理事会に出す監査報告書は各自が分担した分野を書く、そして総評を筆頭幹事が書くようにと提案して了承してもらったのです。私の報告がうやむやになることを防ぐためには報告書がそのまま理事会に届くことが必要でした。

大口の不正処理の貸付金があること、その貸付金は償還が止まっていて利息の支払いもここ数年なされていないこと、その借受人が当農協の役員であった町の有力者であること。数字と実名を記載した報告書を書いたのです。

しかし、私も農協から融資を受けている身、経済活動の世界では明日は何が起きても不思議はない、努力をしていても彼に起きたことは私にも起きる、わが手でわが首に縄をかけ、絞首台に登るのと同じことではないか。それは恐怖心との戦いでした。

かろうじて自分を失わずに書いた報告書はそのまま理事会に届きました。はじめは黙々と読んでいた理事さん達は、やがて憤然として声をあげました。「組合長、これは事実なのか」、「事実です。」と答えた組合長に安堵の色が見えたように感じたのは、私の思い過ごしだったのでしょうか。前任の監事だった理事さんが口をつぐむなかで、早急に厳正な処理をと理事会の結論が出るのに時間はかかりませんでした。

その後の役員会で、この問題の処理が済んだとだけ報告がありました。聞こえてきた噂は、彼の会社が倒産したこと、彼が病を得て亡くなられたことでした。

私には人の上に立つとか、判断を下す立場などの役割は重すぎて引き受けたくありません。でも人間には逃げられない時もある。
この出来事は、そんな辛い重い決断の出来事でした。

後に安佐農協との合併が成立して、新農協の滝中組合長が旧戸河内農協の役員との懇談会にやってきました。その席上「実は私は6農協(安佐、戸河内、筒賀、加計、芸北、豊平)の中で戸河内農協の経理が一番悪いと予測していたのです。ところが合併して内容を精査して驚きました。一番きれいだったのです。」と話されたのです。末席で聞いていた私は、そのときはじめてあの決断は正しかったのだと思ったのです。

今日は私の人生の中で忘れられない出来事の話、危うく逃げ出すところだった怖い怖い思い出を聞いてもらいました。
見浦さんも人の子と軽蔑しましたか?でもこんな辛い決断は二度とは起きてほしくありませんね。

2009.2.23 見浦 哲弥

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