2010年9月25日

アルツハイマー

最近、遠い身内にアルツハイマーかと思われる症状を発見しました。
貴方も良くご存知のとおり、脳細胞が集団で壊死することで発生する病気です。日本人の老人の四分の一が発症するといわれ、発症後十年前後が余命といわれる厄介な病気です。
考えてみると、私の人生の中でかかわったアルツハイマーの人は4人、それぞれかかわった時期は違うものの、いずれも中期以降で治療の出来ない状況でした。(早期なら病気の進行を止めることが出来る)。でも、早期の発見は同居の家族でなくては不可能といわれるくらい、初期は常人と変わらないといいますから。

私は77才、脳細胞の壊死と思われる物忘れが目下進行中ですから、アルツハイマーへの関心も一入、若い人とは受け取りかたが違います。
人間の体は細胞から出来ているのは、誰もが知っています。血液、筋肉、骨格にいたるまで、そして絶えず再生、壊死を繰り返して、機能を維持し生命を支えている。お風呂に入って体を洗うと出てくる垢は皮膚の死骸ですね。しかし、その下には新しい皮膚が再生している。一見同じようでも僅かずつ変化し老化していって、死に続いている。自分の手もよく見ると、いつの間にか老人班と呼ばれるシミが現れています。
ただ、その再生の速度は部位によって違いがあります。
専門家ではありませんが、牛たちと生活して、病気や治療などにも付き合っていると、一般の人よりは病理や治療の知識が深くなります。
そして、より深い観察が早期発見に繋がる、経営の上で最も大切なことなのです。牛は痴呆やアルツハイマーになるほど高齢になるまでは生かしてもらえません。だだBSEと呼ばれる伝染性の脳症がありますが、これは人間にも感染することが判明、徹底的に対策が取られて先行的に排除されていますので、牛を見て学ぶことは出来ません。ですから、身辺に起こった事例を見て、自身の変化に注意する他は発見の方法はないのです。

2009.8.11 眼鏡を2つ新調しました。壊れるのもありますが、行方不明になる、思いもかけないところで発見する、すべて置き忘れ。亡くなった友人の一人が「眼鏡がみえんようになってのー」と愚痴っていましたが、最後は奥さんの命令でヒモで首からぶら下げていましたっけ。

屋外作業の多い農家では邪魔になって、そんなことは出来ません。そこで安い眼鏡を数多く持つことで対応しているのですが、出てくる時には同じような代物が 6個も7個も並ぶのです。ところが行方不明が続くと1個の眼鏡さえ見当たらない。老化とはとんだところにも被害を及ぼしています。眼鏡なしでは読書も機械の修理もコンピューターの操作もままならぬのに。

若かりし時には、年長者の物忘れが不思議でした。牛を飼い始めて必要に迫られて勉強し、少しは知識が増えて、頭では物忘れの現象を理解しても、自分にどのような形で現れるかは想像も出来ませんでした。
しかし、定年と呼ばれる年齢に近づき始めると、遠慮なく現れ始めたのです。忘れると言うことが何の抵抗もなく発現する。それが当たり前のように。怖いですね。
置き忘れをしても中年までは歩いた跡をたどれば、少しずつ思い出す、最後はそうだったと目的物を探し出せたのですが、だんだん歩いた跡も定かでなくなる、こうなると自分のやっていることが不安で自信が持てなくなり、その不安を打ち消すために、自分の考えに固執する、全体を見て判断する能力が衰えていると言うのに。

最初に、人の名前が出なくなる。そこは老化の入り口、その後ろに深刻な症状が控えているのです。弱って行く脳細胞を絶えず刺激して、活力を維持する努力が必要だとの説明は身にしみて痛感しています。
その対策として実行しているのは読書と文章書き、視力の低下で老眼鏡との二人三脚ですが、お陰で皆さんからは、「まだ確かなのー」とお世辞を言われて喜んでいます。
ところが先日、忙しくて3ヶ月ほどご無沙汰だった本屋を覗いてみる気になりました、中国山地の頂上の小板から70キロで益田市、ここに行きつけの古本屋さんと新刊書のお店があります。もちろんメインは古本屋さん、財布の軽い私には新刊書は1-2冊しか買えません。有り難いことに古本屋さんではその10倍も買える、勿論探している本が手に入ることは稀ですが、買い物袋一杯の本の中には、当たりで読みこむ本が何冊かあります。そこで新刊書の本屋さんに移動、本探しをして1-2冊購入するのが何時ものパターンなのです。それと月一回の巡回図書館の本を1-2冊、これが現在の読書量、そうそう他にも若い連中が読んでいる月刊誌にも目を通してはいますが、徐々にその量が減っています。たった一つの脳細胞壊滅の抵抗手段と努力しているのですがね。

その折、購入した本の中に”明日の記憶”萩原浩著という小説がありました。映画化されたようですが気がつきませんでした。読みはじめて驚いた、まさに私が経験し始めたことではありませんか、ただ主人公は50歳、若年性アルツハイマーという設定、私は70歳の後半で違いはあるものの、記憶力の低下を小説とは言え、文章で眼前に突きつけられると心中穏やかではありません。
思い出せば同じ病で倒れた友人のO君が、トラクターで田圃に出るまでは良かったが耕すレバーがどうしてもわからない、機械が故障したと隣家に相談に行った話を思い出しました。
ある日突然記憶の一部が消える、小説の一部にオーバーラップして「なしてかいのー、なしてかいのー」とつぶやいていた彼の顔が゙浮かんできました。
日に日に進行してゆく病状に唯流されるだけだった友人の病状は老いることの難しさを教えていました。

振り返れば、私も何度か死線を越えていきました。そしてたどり着いた老年、どういう結果で終わるのかは不明ですが、最後まで前向きに全力で生きてゆくつもりではいます。

                                        
2009.9.26 見浦哲弥

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