2007年5月26日

混浴

 この言葉から想像する場面はたいそう色っぽい。しかし私の混浴の相手は子牛、おまけに糞まみれとくると、大変な勇気が必要なのです。
 18年の暮れ、そのアクシデントが起きました。

 本来、牛は生まれた時はびしょぬれです。母親が必死に舐めて被毛の粘液を除き、体温が一時的に上昇して被毛を乾かす。被毛が乾くと毛が空気を含んで断熱層を作り、体温を維持するシステムが動き始める。造化の神様はすごい事をします。
 春から秋まで気温の高いときは保温の心配はしないですみます。自然の繁殖はこれに合わせて時期があるのです。
 ところが、経済の中で利益を上げる経営をするとなると話が違ってくる。とくに和牛は子牛が生まれないと収益はありません。乳牛はミルクと言うもう一つの収益があるのですがね。だから一年一産が目標になる。必然的に気温の低い時にもお産がある。その対策が重要な技術となるのです。生まれたら出来るだけ短時間に被毛が乾く手段をつくす。その為に母親が舐めない時は、洗いざらしの手ぬぐいを何枚も使って拭く。強力なヘヤードライヤーで乾かす(昔は4-5百ワットの器具しか手に入らなくて苦労しました)。500ワットの投光器を並べて温度の高いエリアを作る。などなどです。
 見浦牧場は屋外の群飼育、お産が近づくと群れから離して産室の牛舎に収容しなくてはなりません。ところが残念な事に私達は人間、完璧を目指してもミスが起きます。記録誤りや思い間違い、原因は様々ですが、結果は笑い話ですまなくなります。

 今回の騒動は乳房の腫れ、陰部の腫脹、腹部の大きさから、空胎と思い込んだところから始まりました。それも複数人の眼で確認してそう判断したから問題です。
 日が暮れて夜の餌やりに繁殖牛舎に上がった私達は、運動場の雪の中に生まれたばかりの子牛を発見したのです。既に体温が下がって微かに悲鳴を上げるだけ、しまったと思っても手遅れ、すぐ住居に担ぎ込んで「風呂を沸かせー!」。昔の五右衛門風呂と違って、安物とはいえボイラーですから、数分でお湯が貯まり始めます。湯温はショックを少なくするため38度、首を支えるため人間が一緒に入って抱えて身体を支えてやるのです。
 嫁の亮ちゃんが聴診器で心音を確認しながら、途切れそうになると顔をひっぱたいてショックを与える。まるで戦争でも起きたようなさわぎです。体温が上がるにつれ微かな心音が強くなる、温度を調節する係りの和弥(経営主)も必死。家族総動員でした。
 風呂で耐える事1時間。ようやく心音も正確になり筋肉に力が入り始めた頃には、私の体力も限界に達していました。しかし子牛の体温はまだ35度。通常生まれた直後の体温は39度前後、まだ不十分でしたがこれ以上続けると今度は人間の事故が起きる。入浴を中止してミルクを飲ませてみる事に決めたのです。
 最初に飲ませるのは乳牛の初乳。子牛は胎盤を通して各種の抗体を受け取る事が出来ません。抗体は初乳で受け取る。しかも腸壁の組織が生まれて数時間で密になるため、単体がかなりの大きさの抗体は、腸壁の組織が密になるまでに飲ませないと吸収されないのです。まさに時間との争いでした。
 しかし、生命力の強さは、時には人間の常識外の仕事をします。
一口、自力で飲み落としたのです。
「飲んだ!」見守っていた全員に、希望の緊張が走ったのです。子牛が一瞬休んで、ゴクゴクと続けて飲んだ時は、「やったー!」と歓声が上がりました。
 生き物を飼う、生命の強さを実感する、この喜びがあるからやめられない。
 一口ごとに身体に力が入り、1リットルあまり飲んでくれた頃は体温も上がり始めていました。「助かったのー」「よかったのー」全員が思いを一つにした瞬間でした。

 あれから110日あまり、毎日4リットルのミルクを飲んだ子牛は、あのドラマは片鱗も想像できない元気一杯の子牛に成長しました,まもなくミルク給食が終わります。
 あと2年の付き合いが終わる頃にはどんな牛になっているやら、私に見守る時間があるのやら、と、色々な思いを持ちながら毎日牛と暮らしています。

2007/4/6 見浦哲弥

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