2013年1月8日

ウインドロー

岡部先生がこの牧場にお出でになる様になって、3回か4回目かに「見浦君、乾草が2日で出来ることを知っているか」と、聞かれました。「ええ、知っています、条件がよければ、この牧場でも2日で仕上げています」と申し上げると、不思議そうに「どうして、君はその事を知っているのか、日本では3日以上かかるのが常識なのに」と、聞かれたのです。
私にとって当然のことを、不思議そうに聞かれた先生に一瞬とまどったのです。今日は、その話を思い出して見ましょう。

昭和46年に見浦牧場の一番大きな牧草地が出来上がりました。1区画8ヘクタール、何しろ小板部落の水田総面積が20ヘクタールというのですから、当時は広大だと思ったものです。
春になりました。牧草が一斉に伸び始めます。見事な光景と感激したのは何も知らないからで、それを刈り取り、運搬し、牛に食わせて、余った草を貯蔵する、それがとんでもない大仕事で、その解決に何十年もかかったのですから、知らぬは仏の話はここにもありましたね。

勿論、ここ小板でも昔から草刈はありました。刃渡り30センチほどの手鎌で、なぐり刈と称する、この地帯独特の刈り方をする、ですから他の地方とは芸北の鎌は微妙に刃の曲線が違っていました。

殴り刈りというのは左手に固めの少し長い草を持ち、その草で前方の草を分け、曲がった草の根元に鎌を打ち込むようにして刈る。実演すれば簡単な動作も、文章で説明すると大変ですが、少ない力で多量の草が刈れる、質より量の方式なのですが、刈り取った草は不揃いになり勝ちです。

もう一つ握り刈り(にぎりかり)という刈り方もあって、これは左手で草を握って根元に鎌を入れる。
刈り残りはないし、刈り取った草は根元が揃ってきれいです。いかにも仕事が丁寧ですと宣伝しているように。しかし、能率の悪いこと。

動員で働いた牧場で殴り刈り方式で草刈をしていたら、仲間に「見浦は横着な草刈をする」と幹部に密告され、こっぴどく叱られました、この農場では握り刈りの方式でしたから、でも能率は何分の一以下でしたね。
このアホが何も知らんでと思いましたが、時は戦時下、口答えはとんでもない報復を受けます。我慢我慢、でも悔しかったですね。

ところが8ヘクタールの牧草地、見事に育ったと喜んだのも束の間、草は凄い勢いで育ちます。
最初は手鎌で殴り刈り、草の短い間は、さすがの殴り刈りでも量が刈れない、柔らかい牧草は鎌にまきつく、牛が食べるだけの量を刈るのも大変でした。ところが春先は牧草の成長は尋常でない、スプリングラッシュと呼ぶ現象だと教えられましたが、この時期の牧草の伸び方は手鎌で追いつく代物ではありませんでした。

そこで参考書を読む、西洋では牧草を西洋鎌で刈っていると記載してある、早速オーストリヤ製の西洋鎌を買い入れて挑戦。ところが西洋鎌は形が違うだけでなく、つくりも仕組みも異質、それを理解するまでが大変でした。ここにも異文化を理解すための苦闘がありました。

さて、日本の鎌と西洋の鎌は形が違うだけでなく構造までもちがうのです。ですから、そこが判らないと、刈り方も、研ぎ方もうまく行きません。事はついで、その説明もしておきましょう。

日本の刃物は柔らかく粘りの在る軟鋼と、脆いが堅いはがねを組み合わせて作ってあります。そのはがねが中心にあるのが両刃、片側に付いているのが片刃、草刈鎌も二通りありましてね。(ちなみに芸北鎌は両刃でした。)ですから、刃砥ぎも荒砥、中砥、仕上砥と3種の砥石を使って両刃は両側から研ぐ、剃刀のように切れるように、朝露の草刈は滑る様に切れるのが農夫の自慢でした。

西洋鎌は一種類の鋼で作られている、軟鋼よりは堅く、鋼よりは柔らかくて、日本の鎌の2倍もある大きさにもかかわらず軽い。長さは50センチあまり。
それに金属の独特に湾曲した長い柄がついて(木製のもあるらしく、見浦牧場が手に入れたのは金属製でした)、それで日本の鎌と大差ない重量、とにかく軽いのです。薄い鎌は強度を保つため曲面になるようにプレスがしてありましてね。

おまけに切れなくなったら、刃先を金床でハンマーで薄くたたき延ばし、棒状の荒砥でさっと削るだけ。
説明書には日本の鎌との違いや、独特の使い方の説明はなくて、使い方は知っているのが当然と記載してない、エイままよと芸北鎌のように使ったら草は切れなくて、鎌の方が曲がってしまいました。

西洋人は使えて日本人はうまく使えない、同じ人間なのに何故と考える、それが見浦の悪いところで、仕事をおっぽり出して、ああでもない、こうでもない。
試行錯誤の結果、横に滑らすと日本鎌には及ばないものの、牧草は気持ちよく大量に刈れる。
さすが西洋人と感心しましたね、もっとも日本の野草には無力でした、郷に入っては郷に従えの言葉のように。
ところがもう一つ問題がありまして、体力が入るのですよ。体格的に西洋人に劣る日本の農夫には、この鎌での長時間の作業は苦痛でしたね。

さて、ここ西日本は梅雨なる現象があります。6月の半ばから7月の中ごろまで、毎日毎日雨が降り続く。牧草にとって絶好な条件でして、朝草刈をしたのに夕方には、もう2-3センチも伸びている、そんな猛烈な生育をするのです。
見事に伸びた牧草が刈り取られないままに、倒れて腐ってゆく。これには、おまけがあって、倒れた草を放置すると牧草の根まで腐って野草地に変わってゆく、踏んだり蹴ったりの状態になるのです。

ところが適期に刈り取ると、肥料さえあればすぐ伸びだして再生する、年に3回も4回も刈れる。牧草は野草とは異なった凄い能力を持っていたのです。
ですが、適期刈り取りと口で言うのは容易いのですが、実際には不可能に近い。なぜなら、この地帯は年間雨量2200ミリ、とんでもない多雨地帯なのです。おそくまである根雪が消えると一度に春がやってくる。
牧草の成長が春先に偏るので余った草は貯蔵しなくてはいけない。勿論乾かして蓄える干草はこの地方でも昔からありました。お盆前の1時期、晴天が暫く続くのです。好機到来とばかり家内総出で干草作り、毎日草刈山に通いましてね。

こんなことが続いて、牧草つくりは在来の草作りとは違うと気がついて、必死で勉強を始めました。
参考書を読む、牧草の成長を観察する、見学に行く。
西洋鎌の勉強などは序の口でしたね。そんな時14歳の時の動員で七塚原牧場で過ごした経験と見聞は役に立ちました。牧草畑で馬が引いてはいたものの、草刈のモア、テッダー、レーキ、などの機械、西洋鎌や牧草用のホークなどは、そこで見たのでしたから。

しかし、転作の田圃まであわせると15ヘクタールの牧草畑、鎌やホーク、肩掛けの草刈機などでは、どんなに働いても処理できる量ではありませんでした。まさにドンキホーテ氏、風車と戦う、そんな有様でしたね。
和興農園の失敗でシイタケ栽培で蓄積した資本を失ったばかりですから、機械を買うのも儘ならない。それでも1971年に国産の20馬力のトラクターを1/2の補助金を頼りに導入しました、ところが補助金を貰うのにもボスが介入、あまりのことに作業機は自費で購入することにしたのです、何年もかかって。
次に買ったのがスターのレシプロモア、当時も現在のようなロータリーモアは外国製であったのですが、レシプロの4倍以上の値段で私達には手がでませんでした。

しかし、石ころが多い開拓地ではレシプロモアは故障の連続、貴重な短い好天を機械の修理で無駄にして何度も泣きました。いま思い返しても胸が痛みます。
考えられないことですが、国産機でも当時はモアの刃は北欧製、かなりの高価でね、折れた歯の交換などで、苦労しました。予備のバーの購入やら、修理の慣れで何とか使いこなせるようにはなったものの、2度刈りができない、最後の中心部の刈り取りは技術がいりましてね。
丁度、その頃からモアの刃の国産が始まって、見浦牧場にも入ってきました。切れ味もいいし耐久力もある、ところが圃場で使うと問題山積、石に当たると折れる、折れないまでも曲がった刃が堅くて叩いたぐらいでは元に戻らない、その度に作業を中断して分解修理、刈刃の交換、北欧製の刃は少々の曲がりは叩いて直すと作業が続けられる、実際の作業効率は格段の差がありました。

現在では、国内だけでなく、外国にも普及し始めている日本製コンバインは全部レシプロモアが着いている。しかも小農家の中にはモアの刃を研ぐということを知らないで使っている、それほど日本のモア刃の品質と実用性は向上しています。そんな小さな部品の一つからも技術屋さんの努力が伝わってきます。
農民はそこまでの努力をしたのだろうか、農業の衰退を思うたび反省しているのです。

閑話休題、干草の話でしたね。モアが買えて曲がりなりにも刈り取りは前進しましたが、刈った草をひっくり返えさなくてはなりません。裏側を乾かすためにね。小板では鎌で5-60センチほど引き寄せて足の甲に乗せ、バックしながら裏返す、そんな方式でした。こんなことでは大面積の干草の処理は出来ません。そこで牧草用のホークを購入して対策することにしました。
細長い刃が4本ついてスコップの柄がついたのがマニアホーク、小板でも早くから導入されていて、堆肥を積むのにはかかせない道具でした。3本爪で2メートル前後の真っ直ぐな柄の附いたのがへイホーク、七塚の牧場で馬車に干草を積むときに使い方を習いましたが、雨が多くて晴天が続かない小板ではヘイホークだけでの処理は難しかった。涙を飲んでヘイメイカーなるオランダ製の牧草を反転する作業機を買いました。36万円でしたか、貧乏のどん底の私達には痛い出費でしたね。でもこの機械が新しい考え方を教えてくれたのです。

当時は、農機具会社の対応もまずくて、日本語の説明書がついてこない。製造国のオランダ語と英語、ロシヤ語のオペレーションマニュアル(使用説明書と部品表)しかついていない。ご存知のように小卒の私には読みこなす力はない。泣きましたね。
実際に使って見るしか方法がない。試行錯誤、専門家がみたら笑うような間違いをしでかしながら。
そんな使い方だから機械の方もたまったものではない。故障続出、確か10年くらいで駄目になったのかな。現在だったらその2倍も3倍も持たせることができたのに。

しかし、この機械のおかげで、小板にあった畜産と、取り組もうとしている多頭飼育の畜産との考え方の違いを学んだのだから、それなりに大きな収穫があったのです。

さて長い前置きになりました。私には知り尽くした機械でも、見たこともない貴方には、どんな構造か想像もつかないでしょう、その説明から始めましょうか。
幅2メートル、長さはトラクターへの取り付け部を含めて1メートルあまり、進行方向に直角に両端にダブルの直径50センチばかりのリールがあって、2本のチェーンがかけてある。(百聞は一見にしかず、現在使用中の後継機の写真を添付します。チェーンが太いベルトに変わっているだけで殆ど同じ)2本のチェーンを30センチほどの棒が10本ばかりで結ばれていて、その棒に3本ほどのタイン(爪)がついていて、進行方向と直角に地面を引っかいてゆく。従って地面に刈り倒された牧草は片側に寄せられて列を作ってゆく。参考書によればその列をウインドローと呼ぶのだとか。
私は英語がわかりませんが、なぜ牧草の列をウインドローと言うのか、この単語が頭に引っかかりました。食事をする時も、仕事の最中も気になり始めると止まらない、この癖は高齢になって物忘れが普通になってようやく止まりましたが、若い頃はこれで苦労したのです。
が、ある時ふと思った、これは造語ではないか、ウインドとローではないか、そうすれば風と列ということになる。
それから考えましたね。どうして風の列というのか、頭の良くない私が何日かの思考のすえ、たどり着いた結論は”干し方の違い”でした。
小板の在来の干し方は日の光で干す、太陽に向いた側が乾いたら裏返す。ウインドローの考えは風にさらして乾かすだったのです。日本より緯度が高く日光が弱いヨーロッパで考えられた、太陽光だけでなく、風の力も利用する合理的な考え方だったのです。

さて結論が出ました。即実行、真夏の晴天にウインドローを作りました。刈って2ー3時間少し表面が乾いたらへーメーカーでウインドローを作る。でもまだ水分の多い牧草のウインドローは暫くすると潰れてくる。潰れるとウインドローの作り直し。それを何度か繰り返すと見事に2日で干草ができあがったのです。

驚きましたね。真夏の短い期間とはいえ、何日もかかった干草が、たった2日で仕上がりとは。しかし、これは大きな教訓でした。表面の現象だけでなく、考え方まで学ばないと本当のことは理解できない、これが見浦牧場の物事を見る原点になったのです。

何も知らないで機械の寿命は縮めましたが、それ以上のものを学んだ、それがウインドローの話でした。岡部先生は黙って聞いておられました。最後に「九大の農学部を出た牧場主が知らなかったのにのー」と。

「ナーして」という当地の方言があります。どうして?と疑問を持つことですが、当たり前と思っている事にも改善できる要素があるのではと思っています。そんな時「ナーして」とつぶやく、案外大切なことかもしれませんね。
厳しい市場経済のなか生き残るためには、こんな考え方も必要なのでは。

2012.5.17 見浦哲弥

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