2015年11月14日

他人に返せ

ご存じかも知れませんが、私の母方は越前藩の中級の侍で、祖父も祖母もその環境の中で育ちました。従ってその影響は孫の私にも及んで、武士は食わねど高楊枝などと、思い違いもしましてね。私の子供時代を知る人は、老人になった現在との違いに驚く事でしょうね。

あれは二十歳過ぎ、世の中の仕組みを教えてもらおうと、加計の前田睦雄先生に弟子入りしました。先生は、加計家、佐々木家、前田家、加計3名家の一員、政治的には左でね、日本社会党の地方活動家、何が気に入られたか自分の子供の様に可愛がって頂いた。他人に頼るなと侍の教育を受けた私は心苦しくて、ある時先生に申し上げた。「先生、もう結構です、こんなに親身にしていただいても、ご恩返しはできない」と。それを聞いた先生が怒ったこと、烈火の如くとの言葉がありますが、正にその言葉どおり、怖かったのを覚えています。

やがて怒りの収まった先生が、その理由を説明してくれました。「他人の善意に、返せないからと断る、それでは世の中は成り立たない、返せない善意は、必要とする他人に返せば良いんだ」と、商売と善意との違いが判らなかった私が新しい目を持った瞬間でした。

聖書に「自分がして欲しいと、思うことを他人にして上げなさい。自分がして欲しくない事は人にしてはいけない。」との意味の教えがあります。幼い頃、日曜学校に通って教えられたことです。(幼年期は福井市で育ちました)それを思い出したのです。

勿論、家族を抱えて生活していますから、私達の善意などささやかな物ですが、余っていて他の人が必要な物は差し上げてはと考えて生きてきました。
その一つが堆肥です。百姓には堆肥は大切な資源でした。昔は深入山の草刈り場に競争で材料の山草を刈りに行ったものです。
ところが牧場を始めて牛が200頭近くにもなると、年間で1500トン前後も出ます。材料の一部がオガクズや木屑に変わりましたが、よく腐らせると見事な堆肥になるのです。

私も人並みに欲張りですから、懸命に牧場に撒くのですが、天候や仕事の都合で幾ばくかは残るのです。それを皆さんに差し上げようと決めたのです。勿論、金、金の世の中ですから堆肥も有価物、金に換えて一円でも経営にプラスにしろと指導もありました。でもそれではお金に縁のない私達は受けた恩を返すことは出来ない、せめて堆肥ぐらいは差し上げようと言うことになりました。
ところが私達は大の金持ち嫌い、金を出すから積んでくれ、もってこい、儲かるんだから文句はあるまい、そんな人の気持ちも金で買えるという考え方が嫌いなのです。勿論、市場経済というシステムに首まで浸かっているのですから、そればかりでは飢え死に間違いなしですが、せめて一つ位は損徳抜きがないと人間ではなくなる、そう考えているのです。
話し合って私達の気持ちを理解した人は、気兼ねなく堆肥を積みに来る、こんな野菜が出来た、お米が変わったと見本を持ってくる、世間話で時間を忘れる時もある、山奥の小さな集落に住む私達が広い社会との接点を持つことが出来る、そんな効能をもたらしてくれたのです。

今年も堆肥の季節になりました。常連になった人達が見浦牧場を訪れてくれるのを心待ちにしています。お元気な近況を聞かせて貰えるのを楽しみに、お待ちしているのです。

2012.5.8 見浦哲弥

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